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2008/11/26

入院生活も3日目を向かえたが、症状は回復せず目が見えないのでひたすらベッドで横になっている事しか出来なかったが、毎日スガラヤの日本語教室の生徒が見舞いに来てくれて話し相手になってくれた事は嬉しかった。

そんな会話の中で
「空港が占拠されちゃいましたよ」と一人の生徒が言った。

へ、占拠?
最初は理解が出来なかったが、スガラヤが新聞を買ってきてくれて読んでもらうと反政府組織が空港を占拠し、一切の入出国が出来ない状態で、写真には大勢の旅行者が空港で足止めをされている状況が載っていた。
この時はあの日インドに行ってればこの状況に巻き込まれる事も無かったのにと思ったりもした。

しかし翌日更に大きな事件が起こった。
インド・ムンバイでの多発テロ、テロが起きたムンバイは自分のインド最初の街であった。

自分は神の存在も信じていないし、いかなる信仰もしていないが、この時は見えない大きな力が働いて自分はこうして今ここに居るんだなと思わさせられた。

睡眠薬強盗にあったが外傷はなかった、もしあのままインドに行っていたらムンバイでテロに巻き込まれた可能性もあった。
悪いと思われる事が起きても、もう一方では良い事?というか救われる部分もあるんだと。
唯一知っているフランスの諺が頭に浮かぶ、
「C`est la vie」?それが人生だ?
「全ては繋がっている」と感じさせる出来事だった。

スガラヤは日本に居た時に母親に凄い助けてもらったと話してくれた、そして時を経て今度は自分がスガラヤに色々と助けてもらった。
生きていく中で人との繋がりはとっても大切な事であり、自分の周りに居る人達への感謝・大切に想う気持ちをいつまでも風化させずに繋げていきたいと思う。

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2008/11/24

朝、目が覚めると両目共に開ける事が出来ず、激しい痛みがあった。
コンタクトを2日間外さずに着用していた影響だと思い暫くすれば治るだろうとその時は思っていた。

昼過ぎになると何とか目を開けられる様になったが、明るい場所を見る事は出来ず暗がりでしか行動が出来ない状態だった。
スガラヤは自分の目を見てとても心配して病院に行ったほうがいいと強く薦めたが、明日になれば回復するじゃないかとまだ思っていた。
(後で鏡を見たら白目部分が真っ赤になっており、コンタクトの着用だけではなく薬の影響もあったのかもしれない)

夕方になっても痛みは一向に引かず悶えている自分を見かねて、取り敢えず検査をしに知り合いの先生に診てもらおうという事になった。
町医者の先生は診察室にポロシャツ・チノパンという出で立ちで現れて自分の目を軽く診察した後に
「今日入院しないと失明する」
「2週間は入院しないと治らない」
「膿が出来ているので急いで注射しないと危ない」

おいおい、ちょっと待ってくれ。
今後も旅を続ける上で必要な対応を早くしたかったし、こんなあっさりとした診察でいきなり2週間も入院しなさいと言われても納得出来なかった。
そう駄々をこねている自分を見て、スガラヤは自分の両親に連絡し只でさえ強盗の件で心配をかけているので両親からの説得には応じる他無く入院する事になった。

病院に着くと早速注射が待っていた。
今までまぶたに注射をした事はあったが目玉になんてした事が無かったので、子供の頃の注射に対する恐怖が蘇って来た。
想像通り激しく痛く、注射が終わって肩を撫で下ろしているとあと2本打ちますよと言われ有無も言わさず残り2本の注射が打ち込まれた。

その夜は外国で1人、突然入院する事になったさみしさと今後の不透明な状況に不安が募り中々眠る事が出来なかった。
2008/11/22

辛かったベトナムからタイに戻ってきて遂にインドへ向かう時に事件は起きた。
その日は昼過ぎのエアポートバスに乗り夕方にはタイを発ち、夜にはインドにいる筈だった。

タイでの最後の日もいつも通り屋台で朝食を済ませて街を歩いていた。
すると一人の女性が声を掛けてきた。
「チェンマイから遊びに来てるんだけど、ネットが出来る店を知ってますか?」
いつも通っているネットカフェに案内し、ついでに自分もメールの確認などしてお店を出ると先程の彼女がが入り口の前にいて、一緒にお昼を食べに行かないか?と誘われた。
バスの時間までは1時間以上あったのでその誘いを受けご飯を食べに行く事にした、近場のタイ料理のお店で食事をしていると、偶然を装って(のはずは無いんだけど)彼女の姉と母親と名乗る人が現れ一緒に食事する事に。

この姉から、空港の方面に住んでおり、車で来てるし妹も家に泊まるので一緒に乗せて行ってあげると提案があった。
妹さん1人の時は警戒をしていたが、母親の登場が自分の中では大きかったし(家族を装ったプロだと後から判明した)、既にタイという国とタイ人の事が好きになっていた自分は送ってもらう様にお願いした。

車に乗り何気なく「パイナップル」を進められた、東南アジアでは毎日フルーツを食べていてその中でもパイナップルは特にお気に入りだった事もあり、何気無しに食べた後から確かな記憶は途切れている。
(パイナップルに麻酔薬or軽めの睡眠薬が塗布されていた)
その後断片的な記憶の中で、車から降りた事、どこかの建物に入った事、ベッドで寝てる事、そしてより強い睡眠薬を飲まされて記憶は完全に途切れた。

目が覚めて時計を見ると飛行機の出発時間まで1時間半になっている、急いで体を起こそうとするが上手く動かない、部屋もとても静かで人の気配がしない。
まさかと思い隣の部屋に行くと自分の荷物が散乱していた、部屋を出て誰かに事情を聞こうとするが頭もボーっとしているし、体が自分の意思通りに動かせず少しの段差にも躓き転んでしまう。

そんな自分の姿をみた従業員が心配して話しかけてくるがタイ語の為わからない。
どうしようかと思い部屋に帰り、荷物を確認すると携帯電話が残っていた。
日本大使館の番号も分からないし、とりあえず実家に電話すると母親が出たので回らない頭で事の次第を説明したらスガラヤに連絡して折り返し電話するから待ってなさいという事。

部屋で待っているとスガラヤから連絡がありバンコクに住む友達に迎えに行くようにお願いした事、今後の対応も含めてウドンタニ(スガラヤの住んでいる場所)に来ないかと言われ現金・カードなど全て無くなり1文無しの自分は頼れる知り合いの元へ尋ねる事にした。
(この時に初めて朝4時だった事を知り、前日の昼から眠り続けていた事がわかった)

スガラヤの友達が来る迄の間、ホテルの人達はとても気にかけてくれ駐車場係りのおっちゃんは朝食をご馳走してくれた。

バスに乗りウドンタニへ向かう車内では色々な事が頭を巡ったが、不思議と犯人達に対しての怒りは無かった、ただ自分の慢心・油断が今回の事故を招いた結果として冷静に受け止めていた。

夕方ウドンタニのバス停でパパとサンタ君が迎えに来てくれており、その日初めて安心した気持ちになった。
家に帰りスガラヤとお互いに思い描いていたよりも随分早い再会を果たした。
2008/11/16

ハノイの街へ移動しハロン湾クルーズツアーへ
「海の桂林」と呼ばれるハロン湾。
自分の中でベトナムで行ってみたい一番の場所だった。

ベトナム06(ハロン湾)
圧倒的な自然美に向かって続々と船が集まっていく

ベトナム11(ハロン湾)
仙人でも住んでそうな雰囲気

暖かな日差しの中、波に揺られ視界には360度全て絶景が広がる、そんな船の甲板の上に寝転がりながら過ごした時間は素晴らしかった。

その後、鍾乳洞へ
ベトナム13(ハロン湾)ベトナム12(ハロン湾)
洞窟内は様々な色にライトアップされていたのは、異空間を演出!?

ベトナム07(ハロン湾)
帰りは船の上から夕陽を眺めてツアー終了

素晴らしい景観を見た後は一緒のツアーに参加していた前田さんと夕飯を食べに行き生春巻きにリベンジを挑んだが見事に撃沈して1日を終えた。
2008/11/12

ホイアンの街は古いものと新しいものが一体になった街だった。

ベトナム02(ホイアン)
来遠橋(日本橋)
日本人が建設した橋で昔は周辺が日本人街だったらしく橋には日本の提灯がぶら下がっていた。

ベトナム04(ホイアン)
ベトナム風?の提灯
ホイアンの古い街並みは世界遺産に登録されておりその通りには風情があった。

片や1本通りを隔てた通りにはアートギャラリーが所狭しとあり、その街のコントラストは正反対に受け取れるものが見事な調和を作り出していた。
そしてオーダーメイドの店もこれでもかとあるが、同じデザインのサンプルがディスプレイされている為、オーダーメイド店なのだがチェーン店の様だった。

翌日はミーソン遺跡へ行ったのだが、風邪をひき頭がボーっとしてる中行ったのでほとんど覚えてない。。。
ベトナム03(ミーソン)
森の中のこの道をフラフラと歩いた記憶しかない
きっと素敵な場所だったんだろうな…

ベトナム料理を楽しみにしていたけれど、生春巻きは皮がカピカピだったし、フォーも香草が強烈で1度食べてその後は敬遠する事に、そんな理由でフエではパンを食べ、遂にこの旅始まって以来初めてファストフードに手をつける事になっていた。
(大衆食堂にしか行かない自分のせいかもしれないが…)
2008/11/10

ラオスからベトナム・フエへ
ラオスからベトナムへの移動は今までで一番辛い移動だった。
まずバスがとてつもなく古くリクライニングは皆無、さらに米やら野菜などやたらと荷物を積み込み足元まで荷物で占領され、タバコは吸うし唾は吐くとなんでもありの車内。
更に乗っているツーリストは見渡す限り自分だけの状況に不安な気持ちが込み上げる。

この後のベトナムの旅で常に付き纏ったベトナム人の超自己中ぶりはこの時点から辟易させるものがあった。

そんな辛い移動を終えて辿り着いた街「フエ」
フエの街は新市街と旧市街に分かれており旧市街の王宮は世界遺産に登録されている。
ベトナム09(フエ)ベトナム10(フエ)

ベトナム01(フエ)
旧市街の街は王宮を中心にして広がっており、平安京などと同じイメージが湧いてきた
京都・奈良の建物同様に歴史の流れを感じることが出来る素敵な場所だった。

ベトナムはフランスの植民地だった事もあり他の東南アジアの国ではおいしいパンを食べる事は中々出来なかったのだけど、泊まったホテルの下にあったパン屋さんは味は基よりその店の看板娘?はかわいくて感じも良く自分が出会ったベトナム人の中で唯一素敵な人だった。

2008/11/4

ラオス南部のメコン川には島が点在しており、電気も無い生活をしている島もある。
ビエンチャンで夜行バスに乗りパクセー?4000Islandへ

この夜行バスは中古バスに二段ベッドを設置している改造車で移動中に寝転がりながら見た星空は移動するプラネタリウムの様で、辺り一面平野の為自分の目線と同じ高さに星が見えとても美しい光景だった。

パクセーから乗り合いバスに乗り換えて島へ向かう。
ラオス10(4000島)ラオス07(4000島)
島へは渡し舟で向かう。
メコン川の流れと同じくゆっくりと船は進む。

島の見所はメコン川唯一の滝とピンクイルカ?を見ることが出来るらしい。

船着場のおじさんに滝を熱心に進めらたので、滝を見に行くと普段のゆったりとした流れからは想像が出来ない程の荒々しい姿をメコン川は見せてくれた。
ラオス05(メコン河)ラオス12(メコン河)
「メコン川のナイアガラ」と称す事もあるらしく普段のメコン川とは異なり荒々しい流れを見ると、規模はナイアガラの滝とは比べられないだろうけど、その表現は理解できるものだった。

基本的には何にも無い島なので、自転車を借りて島内を走って、疲れたら宿に帰ってハンモックに揺られて読書したりして、のんびりのーんびりした生活を送っていた。

ラオス08(4000島)
牛たちが草を食む絵に描いたような牧歌的な風景が目の前に

ラオス01(メコン河)
メコン川沿いに見る夕陽は毎日見ても飽きる事がなかった

ラオスはメコン川の流れに合わせたゆっくりした時間と穏やかな人々が住む国だった。
自分は先進国で近代文明の享受を受けているが、ラオスのこの雰囲気は変わらないでいてほしいと身勝手に願ってしまう。
2008/10/31

タイからラオスへ
ラオスとの国境の街ノーンカイまでスガラヤに送ってもらい友好橋を渡りラオスへ入国
ラオスという国について自分はイメージ出来る事が無く、タイ人はみんな揃って田舎でのんびりしてると言っていた。

その言葉通り、首都のビエンチャンは日本の片田舎の街という感じ。
街はメコン川の流れと同様にゆったりした空気で包まれていた。

ラオス09(ビエンチャン)
パトゥーサイ パリの凱旋門を参考にして作成された。

ラオス02(ビエンチャン)
パトゥーサイからの眺め
ビエンチャン市街を見渡す、遠?くまで良く見える。

そんなビエンチャンで出会ったのがオーストラリア人の「ライアン」
同じ部屋に宿泊した彼とラオスっ子とクラブへ行く事に。
今まで出会ってきたオージーの例に漏れずライアンも酒を底無しの如く飲んだ。
しかも何かと乾杯をしたがる為、みるみるうちにアルコールは進んでいく。
2軒目に移動してペースは加速していく、バンドの生演奏と共にライアンの勢いも最高潮へ。
夜中の2時に店を出て宿に戻る途中で、声を掛けられライアンは「もう一軒行ってくる」と言い残し颯爽と夜の街へ消えていった。

それからの2日間は2日酔いと店内の激しすぎる冷房にやられてベッドの上から動けなかったが、ライアンはケロッとした顔で「Good Luck」と言い残しバンコクへ旅立っていった。

2008/10/27

タオ島から戻り、タイ東北部ウドンタニに住む知り合いを訪ねて夜行電車で向かった。

翌朝ウドンタニの駅に降り歩いていると
「テルオ?」
と名前を呼ぶ声が、振り返ってみると見覚えがない人が立っているが、よくよく見るとその顔は「スガラヤ」だった。
10年以上の歳月が容姿を変えていて最初はお互いに驚きあった。

スガラヤはタイのウドンタニ出身で、日本に滞在していた際に母と同じ職場で働いており、母とは富士登山や東京観光など公私に渡り付き合い、タイへ帰国後も連絡を取り合っておりこの度、母の代理?として息子が彼女の元を訪ねる事になったのである

友達の車に乗り、市内観光を若干した後に畑の家へ向かった。
スガラヤは「街の家」と「畑の家」と二つの家を所有しており、「街の家」は文字通り街の中にある一戸建ての家。「畑の家」は自分達で建てた自然に囲まれた中にある家。

タイ12(ウドンタニ)タイ18(ウドンタニ)

タイ25(ウドンタニ)タイ10(ウドンタニ)
家の増改築・農作物の生産など手作りづくしの家。
電気も通っているが基本的には太陽と共に生活、太陽が昇ったら活動し
汗をかいたら水を浴び、夜は満天の星空の下で眠る。

タイ11(ウドンタニ)
サンタ君(クリスマスに生まれたからニックネームはサンタ)
very cute!自然の中でわんぱくに育ってる。


ここでは昼は河で釣りをしたり、スガラヤの日本語教室のアシスタント?をしたり、地元の高校生達とサッカーに興じたりして、夜は月明かりの下、お茶をしながら色々な事を話した。
旅の中での生活とは異なる日常生活をゆっくりした時間の中で過ごしていた。

タイ09(ウドンタニ)
左からパパ(旦那さん)、スガラヤ、おばあちゃん(スガラヤ母)、サンタ、妹さん

ラオスへ旅立つ際には、旅のお守りとしておじいちゃん・おばあちゃんからミサンガをプレゼントされた時は正にウルルンの様に感動が押し寄せてきた。
短い間だったけれど、ここで過ごした日々は忘れることが無い素晴らしい思い出になった。
本当の家族のように接してくれたみんなには心からの感謝を。
いつか今度は父と母を連れてスガラヤと再会出来る事を願ってます。

2008/10/22

サムイ島でシュノーケリングをして、水面から覗いて見た水の中は自分が見た事が無い世界だった。
当初ダイビングはやろうかどうか迷っていたが、一度覗いて見たその中に今度は潜りたくなり世界中のダイバーが集まると言われるタオ島へ向かった。

体験コースとOWライセンス取得コースがあり、ダイビング熱に浮かれた勢いのままにライセンスを取得コースを受講する事に。
2泊3日で1日目は学科講習の後にプールでの基本動作の実技練習。
2・3日目は海でのダイビング。

タイ07(タオ島)
宿の前に広がる海
こんなに綺麗な海が目の前にあればカナヅチでも飛び込みたくなってしまう。

コース初日、午前中にダイビングの心得・基礎知識を教わり、午後からプールでの練習、中性浮力を保つのには苦労したが何とかクリアして、いよいよ海へ潜る事に。

海に入るのなんて最近の記憶には無く、泳げないので自分にとっては海は眺めたり、散歩したりする分にはいいが、恐怖を煽るものの対象としての側面もあった。
だが、そんな価値観を完全に払拭させる感動がそこにはあった。
自分で体感してこの目で観た水中世界はどんな綺麗な水中写真よりも素敵で、自分は地球では無く別の惑星にいるんじゃないかと思わさせられる程だった。
色とりどりの珊瑚と魚・眼下に見える海底、そして陸では味わえないあの浮遊感には終わった後も、またすぐに潜りたいという衝動が湧き上がってくる。

水の中 (2)水の中 (3)
水の中 (5)水の中 (6)
海亀にマンタに、あぁ…凄い。(でもこれはKLの水族館の写真。。。)

正直、南の島を自分は軽視していた。
だがサムイ島・タオ島とアイランドトリップを満喫し、すっかり島の魅力にとりつかれた。
南の島って本当に最高だね!!
2008/10/20

サムイ島ではレンタバイクで島内を走り回った。
バイクに乗って走る、ただそれだけの事が凄く気持ち良かった。

タイ24(サムイ島)タイ04-1(サムイ島)
椰子の木の太陽と海岸からのSUNSET
夕陽を見ながら飲んだビールは最高だった。

タイ21(サムイ島)タイ17(サムイ島)
友達からアントン国立公園へのツアーに招待された。
島内では岩に囲まれた道を抜けたその先にはグリーンに輝く湖が待っていた。

タイ22(サムイ島)タイ23(サムイ島)
滝壺へ友達・ご近所さんと連れ立って水浴びへ
滝壺にダイブしたりと、自然の中で童心に帰り遊んでた

タイ05(サムイ島)タイ06(サムイ島)
レックさんとチッチさん
彼らは
「お金を沢山もっててどうするの?」
「お金は少ししか無いけどみんなでこうして楽しく生活しているから幸せなんだ」
と自分に言った。
その言葉にはカンボジアで「お金・お金」という現実を見てきた後だったし、日本ではお金の価値観がとても高いのもあり、とても心に響いた。
生活している環境にもよるけれど、彼らはお金は無くとも今を楽しく生きていて羨ましくも思えた。

旅をしていると毎日が出会いと別れの連続で「今を生きる」というのはとても大切なことで、今日という日を大切に生きることが未来への積み重ねになるのだと彼らと話して改めて感じさせられた。

サバイサバーイ(サバイ:タイ語で楽しい)な日々を過ごせた島のみんなには感謝です。
そして国立公園ツアーに招待してくれたり、地元のおいしいレストランへ毎晩連れて行ってくれた西村さんには心からのありがとうを。

2008/10/17

日本以外の国で友達と再会する。
これは旅に出たらしてみたいと思っていた事であり、南の島で友達と再会する為、夜行バスでサムイ島へ向かっていた。
タイの南の島というと自分が連想するのはディカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」
何回も観た事があったが、島に向かう前日バンコクの宿で「ザ・ビーチ」が流されていて、宿の主人の術中にまんまと乗っかり夕飯を食べながら観賞した。
あの映画の撮影場所はプーケット周辺らしいけれども、あんな感じの海が待っているのかと、カップルだらけの車内で一人想像し楽しみにしていた。

朝7時、どこかの川岸に降ろされる。
タイ13(サムイ島)
旅の最初はこの突然降ろされる事に不安を覚えていたが、多少慣れてきた為取り敢えず待つかと思うようになってきた。
地元の漁師?の舟が往来するのどかな場所で待つこと2時間、別のバスがきて港へ
そこから船に乗り換えサムイ島へ出発。

タイ03(サムイ島)

船に揺られる事1時間少々、17時間かけて遂にサムイ島へ到着。
港には友達がタイ人を連れ立って迎えに来てくれており、南の島で再会を果たした。

ここからの日々はサバイサバーイ(サバイ:タイ語で楽しい)の連続で、南の島の魅力を思う存分味わう事になっていった。
2008/10/12

「東洋のモナリザ」と評されるデヴァター像があるバンデアイ・スレイへ。
バンデアイ・スレイは赤い砂岩により建造されていて、今まで観て来た遺跡とは印象が違う。
遺跡の中には精巧にほられた美しい彫刻が数多くあった。

カンボジア12

カンボジア23

カンボジア22カンボジア21
一つ一つの彫刻に物語があるのだが、ガイドを雇っていない自分にはわからず。。。


で、肝心の「東洋のモナリザ」なのだが現在は修復作業中?の為、観る事は出来なかった。。
「東洋の真珠」と呼ばれるペナン島はがっかりだったので、期待していたがまたもや残念な結果になってしまった。。

翌日はカンボジア滞在最終日なので、連日天気が悪く迷っていたアンコールワットへ日の出を観に行ったのだが、こちらも残念な結果に。。。

カンボジア18
天気が良い日にはきっと朝日に照らされたアンコールワットが見えるんだろうな?
厚い雲の向こうに紅い光が微かに・・・


カンボジアは近年まで内戦状態であった事から貧困と内戦の爪痕は到る所に見受けられて考えさせられる事が色々とあった。
地雷博物館の夥しい程の地雷の数、そして写真の中の犠牲者達。
アンコールワットと同じ位インパクトがあり、忘れてはいけない事だと思う。
遺跡内であった子供達には笑顔が無く、観光客はお金としか見てないような振る舞いに寂しくもありこれが彼・彼女たちの現実なんだとも思った。
彼・彼女達にどう対応するべきなのかは自分にはまだわからない。

2008/10/9

アンコールワットをずっと観てみたいと思っていた。
今日遂に初対面の時を迎えた。

バイクタクシーに乗り森の中を走っていくと、やがて湖が現れその先にはアンコールワットが見えてきた。遠くにその姿を確認すると興奮は最高潮に達した。

が、そんな興奮とは裏腹にバイクはアンコールワットを通り過ぎていく
「ちょっと何処行くの」
とドライバーに聞くとまずはアンコールトムからと言いアクセルを回す。

アンコールワットを目の前にしながらお預け状態だが、メインディッシュは最後だなと自分に言い聞かせて、まずはアンコールトムを歩いて周る。
カンボジア19

カンボジア05
アンコールトム バイヨン:宇宙の中心と考えられて建設されており、そう言わしめる力を感じる。


続いて映画「トゥームレイダース」で使用もされたタプロームへ
カンボジア17

カンボジア15
タプローム 遺跡の上に覆いかぶさるガジュマル
日本人に一番人気がある遺跡、自然美や退廃感などが心の琴線に触れる


そして、いよいよアンコールワットへ
カンボジア09

カンボジア13-1
アンコールワット とにかくそのスケール感や佇まいには時の流れ・歴史を感じさせる。
その魅力に惹きつけられ3日間歩いたり眺めたりしていた。
突然の夕立の後に、虹がかかったアンコールワットは本当に素敵だった。

自分の写真では遺跡群の素晴らしさを伝えるのが難しいが、この有名な3遺跡は素晴らしく、実際にこの目で観て感動しかり圧倒されるものがそこにはあった。でもそれを言葉で表現する事もまた難しい。
やはり現地で自分の目で確認してほしい遺跡の一つだし、そこにはきっと現地でしか味わえない感動があると思う。
2008/10/8

バンコクで3日間過ごし、アンコールワット遺跡群を目指し乗り合いワゴンでカンボジアへ行く事に。

乗客は
アメリカ人 6人
コロンビア人 1人
パキスタン人 2人
日本人(自分) 1人
の合計10人でカンボジア・シェリムアップへ向かって走り出した。

カンボジア01
カンボジアとの国境。
イミグレーションの門からアンコール遺跡風になってる

今まで通過してきた国と同様に問題なく入出国を済ませたのだが、一緒に乗ってきたパキスタン人とコロンビア人は係員と揉めている様子だった。
彼らは一般のツーリストであるのに、必要以上に詮索されたり普通に旅をする事に色々な困難が付き纏い、不憫に思う。

30分近く待ってコロンビア人の彼は出てきたが、パキスタン人の2人は結局現れず、カンボジア側で待機しているバスに乗る事に。
(出身国を聞いた際にも何か言いづらそうな表情をしていた。2人とも明るくて自分に合わせてゆっくり話してくれたりする優しい人だったのだけれど)

カンボジアの悪路に激しく揺れるバスに乗りながら偶然にも日本に生まれた事だけで幸せなんだなと思ったり、先人達が頑張ってきたおかげで自分がこうして旅を出来ている事に感謝していた。
2009.01.19 突然の再会
2008/10/3

マレーシア・ペナン島からタイへ向けてバスで移動。
イミグレーションを問題なく通過して、タイ側の国境の街ハジャイへ着いた。
ここから夜行列車に乗りタイの首都バンコクへ向かう。

翌日マレーシアでの一件もありかなり早く駅で電車を待つ事にしたが、発車予定時刻になっても自分が乗る予定の寝台車は見当たらない。
一応確認の為、駅員さんに尋ねると満面の笑みで「JUST WAIT」と一言。
取り敢えず待つしかないのでホームをブラブラしていると後ろから肩を掴まれた。
誰かと思ったらマラッカで同じ宿だった「太郎さん」だった。

太郎さんは南米やアフリカなどにも行った事があるバックパッカー10年生?。
自分が最初に会ったときには巻きスカート(ミャンマーの民族衣装)を履いていて何だこの人はと思った。
向かう方面は一緒だったのでまたどこかで会うかなと思っていたけど、まさかこんな田舎街の駅で再会するとは思ってもいなかったのでビックリしたし、再会できた事が嬉しかった。

太郎さんは寝台車の席が取れず座席シートでバンコクまで過ごさなくてはならない為、かなりハードな移動である。そうこう話している内に電車が連結する音が聞こえ自分も急いで寝台車へと向かった。
遅れること1時間程で列車は出発した。

車内ではエアコンが外の世界とを隔絶する様に豪快に使用されており寒い位だったが、東南アジアではホテル代や電車・バスなど、エアコンの有無で料金がかなり割り増しになるのでこれが贅沢な事になるのかな。

翌朝、無事バンコクで太郎さんと合流しバックパッカーの聖地と呼ばれる「カオサンロード」へ向かった。
2008/9/30

クアラルンプールからバス移動しペナン島へ。
「東洋の真珠」と呼ばれるマレーシアの観光名所で2008年に島の中心部のジョージタウン一帯が世界遺産に登録された街。

マレーシア04(ペナン島)
南国の花 ハイビスカス

マレーシア08(ペナン島)
クーコンシ(中国式廊)

マレーシア最大の仏教寺院「極楽寺」へ向かうため市内を走るバスに乗る事に。
今までは街から街への移動は基本的にはツーリストが利用する長距離バスしか乗ってこなかったので比較的落ち着いていたが、さすがに地元の人達が使用するローカルバスは熱気が違う。
バスターミナルには人が溢れ、バスが到着するとバーゲンのデパートの様に我先にとみんなが乗り込もうと押し合いへし合い乗り込んでいく、ある程度乗ったらバスはドアも閉めずに排気ガスを残して走っていく。

そんな風景を目の当たりにして、やっぱりタクシーでなんて思ったが、何台かのバスをやり過ごし意を決して乗る事に。
当然乗る前からそんな感じなので、バスの中はこれでもかと人が乗っている。
エアコンなんて付いてないので中はサウナ状態の中走っていく。
更に極楽寺付近は観光バス・タクシーで渋滞している上にお互い譲り合う気はさらさらない為、一向に進まない為、「ここで降ろして」と乗客から次々に声があがるが何故か運転手はドアを開けない。
そんな状況がしばらく続いた後に、突然ドアが開き自分も降りて歩く事にした。

マレーシア10(ペナン島)
極楽寺のパゴダ
残念ながら訪れた時は修復作業中で鉄骨に囲まれちゃってた
マレーシア09(ペナン島)
突然のスコールに雨宿りする事に

帰りのバスも乗車率200%の車内で熱気に包まれながら街の中心へ。
日本の通勤ラッシュ時の電車も凄いけど、それとは違う混雑感がここにはあってローカルのエネルギーみたいなものが一杯だった。

2008/9/29

マラッカより北上しマレーシアの首都クアラルンプールへ。
シンガポールと同じく多数の民族が混ざり合い街を形成している。

マレーシア11(KL)
マスジット・ジャメ
イスラム教が国教のマレーシア。
穏やかな雰囲気の中、大勢の人達がモスクで静かに祈りを捧げていた。


マレーシア07(KL)
KLタワーからの夜景
ペトロナスツインタワーには伊勢丹・紀伊国屋などあり。


首都だけあって毎日賑わっていたが、見所は乏しく観光というよりも買い物中心になってしまう為、2日ほど滞在し次の街へ移動する事に。
バスチケットを購入し翌日発車時刻の15分前にチケットカウンターに行くと、既にバスは出発していた。
(遅れるならまだしも早く出発するって。。。)

カウンターのおばちゃんに詰め寄ると、出発しちゃったものはしょうがないじゃないかと開き直る。
料金は払っているんだし、時間を変更しろというと渋々変更手続きをしてくれたが、変更には手数料がかかると言う。
この言い分には納得出来なかったが、出発時刻は10分後でこれを逃すと翌日にならないとバスは無い。
言いたい事は沢山あったし頭にもきていたけど、とにかく先へ移動したかったので手数料を支払うとおばさんはそのまま立ち去ろうとする。
手数料に加えてお釣りまでネコババしようとしているので、「お釣りは?」と催促すると何事も無かったかのような顔でお釣りをよこし、さっさと行けという態度をとった。

東南アジアの洗礼を受けて、これからこういった人達を相手に戦う強さが必要だと感じる事になった。
2008/9/27

マラッカは2008年にペナン島のジョージタウンと一緒に世界遺産に登録された街。

マレーシア01(マラッカ)
街の中心、ダッチスクエア(オランダ広場)
広場の周りにはお土産物の屋台やレストランなどで賑わってる。


マレーシア02(マラッカ)
観光用のカラフルな三輪自転車。
椅子の下にスピーカーがあり、大音量で音楽をかけながら走っているものもあった。


マレーシア03(マラッカ)
丘の上からの街並み。


マレーシア05(マラッカ)
マラッカの夕陽。
深夜特急?でマラッカの夕陽について書かれている箇所があり、期待していたが
そこまで感じる事はなかったかな。。。


海岸線の街なので風も気持ちよくていい街だった。
ちなみにフランシスコ・ザビエルがこの街から東アジア(日本など)に向けて布教に旅発ったらしく丘の上にある教会にはザビエルの銅像が建てられており、一時はここに遺骸が埋葬されていたそう。

2008/9/25

島国の日本では不可能である陸路での国境越え。
ヨーロッパを旅行した際にも国から国の移動は飛行機を使用しての移動しかした事がなかったので旅に出る前から一つの楽しみだった。

シンガポールからマレーシアのマラッカへのバスでの移動。
定刻通りに出発したバスは直ぐにマレーシアとの国境へ到着した。
バスの運転手に促され他の乗客とシンガポールの出国窓口に向かう。
列に並び自分の番になったのだが「ここではなくあっちの列だ」と言われもう一度列に並びなおす。
その間にも一緒のバスに乗っていた人達はどんどん先にいってしまう。
手続きを済ませ急いで出口に向かったが、一緒のバスの人達は見当たらないし乗ってきたバスも見当たらない。出発前に人数の確認もしている様子は無かったように見えたのでこれは置いて行かれたのかと思いどうしようかと途方にくれているとバスがやって来た。
するとどこからともなく乗客も集まってきた。時間にすればほんの1?2分位だと思うが本当にあせったし、怖かった。

再びバスに乗りマレーシア側で入国手続きを済ませ初めての陸路での国境越えは無事に終わった。
旅の初心者の自分にとっては新鮮でありドキドキした経験だった。
2008/9/23

自分の中でのシンガポールと言えば「マーライオン」と「シンガポールスリング」

マーライオンは以前訪れた際には遠くから眺める事しか出来ずがっかりだった。
今は海沿いの公園にあり近くから眺める事が出来るようになっていたが、やはりさして感動をする事も無かった。
それでもシンガポールのランドマークである事には違いなく、近くにはオシャレなカフェなどもありのんびりと過ごすにはいい雰囲気だった。
自分は行ってないけれどセンドーサ島にはでっかいマーライオン像があって、展望台として中に入る事や夜になると光のショーをやっているらしい。

シンガポール08
マーライオン。
夜にはライトアップされ市民の憩いの場所になっていた。

シンガポールスリングはその名の通りシンガポールで生まれたカクテルで是非とも発祥の地シンガポールのラッフルズホテルで一杯飲んでみたかったが、ラッフルズホテルはシンガポールが誇る最高級ホテル。
入り口にはポーターやドアマンなどがおり、年をとり世間一般の常識?(マナー?)などを多少は気にするようになった自分は半そで・ジーンズ姿でそこへ入る事が出来ず、立派なホテルの概観を眺めて終わることになった。

Singapore_Sling.jpg
シンガポールスリング。
いつの日かまた訪れる時があれば飲んでみたい。

シンガポールの街を歩いてみてショッピングセンターやホテル・マンションなどの工事が多数行われており、他の東南アジアの数倍の物価基準も納得の光景であり、都会であるイメージはあったが想像を上回る街並みに正直ビックリした。
街の中心部は洗礼された都会だが、チャイナタウン・リトルインディア・アラブストリートという濃い感じの通りもあり、この小さい国の中で色々な文化・人達が混ざり合って共存している。

シンガポール03
アラブストリートにあるモスク。
中は見学が可能でイスラム教徒の人がお祈りをしている。

夜は同部屋の日本人とアイルランド人とシンガポールスリングの代わりにシンガポール原産のタイガービールで乾杯し1日を終えた。








2008/9/22
世界一周の旅がスタート、最初の目的地はシンガポール

何年振りかの飛行機の為、空港でのチェックインをするのにも戸惑う。
チェックインを無事済ませ、今日から旅が始まるんだと興奮を覚えつつ搭乗口へ。

シンガポールに到着したのは夕方前。
空港の案内板などには日本語表記は無く、聞こえてくるのは耳慣れない言語に
わかっていた事だけど、戸惑いおどおどしながら市内へ向かう電車乗り場へ。

電車に乗り降車駅を確認していると、一人の男性が話しかけてきた。
初めての海外一人旅で周りの人は全て敵だと思っていたので、最初は適当に受け流す。
だが話している内に以前日本に留学していた事があり、単純に日本人の自分と話がしたい
感じだったのでお互い片言の日本語と英語を交えて話しをしていた。

ジョナスはシンガポール在住でベトナム旅行からの帰り。
体は筋肉の塊みたいな感じで自分なんか片手で捻り潰されてしまいそうだ。。。
目星を付けていた宿の場所を知っているか聞いてみると、不安そうに見える自分を不憫に思ったのか、その宿まで案内してくれるとの事になり一緒に電車を降りる。

あいにく泊まりたかった安宿はドミトリーの10人部屋しか空いておらず、
初日から9人の他人に囲まれて過ごすのにはビビッてしまったので別の宿を探す事に
ジョナスが知っている宿に連れて行ってもらい、ドミトリー(4人1部屋)とツインが空いており各部屋の値段は倍以上の違いがあったが初日だしツインルームにする事に。
そこでもジョナスは宿の設備など丁寧に教えてくれ、部屋が決まると一緒に夕飯を食べに行こうと誘ってくれた。

夕飯はフードコート(屋台の集合した場所)でシンガポールのローカルフードを味わい、片言の日本語と英語で会話を楽しんだ。
東南アジア特有の熱気に包まれながらの夕食は異国に来たんだと改めて実感させてくれるものだった。

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