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イグアスの滝。
アルゼンチン・ブラジル・パラグアイの三カ国にまたがっており滝幅は4km、最大落差80m、毎秒6万5000トンの水量を誇る世界最大級の滝。
南米の旅の締めくくりとして、僕たちはこの滝に向かった。

国立公園内を歩き、しばらくすると水が流れる音が聞こえてきて、やがて轟音と共にイグアスの滝が僕たちの目の前に姿を現した。
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とにかくスケールが大きくて、南米の圧倒的な自然を存分に感じさせてくれた。
滝に近づけば水飛沫だけでシャワー後の様に全身びしょ濡れになってしまう。
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滝の前にはもの凄いデカイ虹がかかり、自然が作り出した最高の光景だった。
ボートツアーではこの虹をくぐり、滝壺の近くまで向かう、バケツの水を被せられる程の水量を全身に浴びるとてもサディスティックなツアーだけど、今までのツアーの中でも最高に面白いツアーだった。
おそらく日本ではこんなツアー無理だろうな。。。
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イグアスの中でも最大級の滝「悪魔ののどぶえ」
もうでか過ぎて訳がわからないし、言葉や写真では伝えきれない迫力があって、実際に見た人しかわからないとホントに思ってしまう。
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綺麗な色の蝶ちょが公園内に舞っていて、時には指や肩に止まってくる事もあった。
一日中歩き周った後には心地いい疲労感があった、やっぱり子供に戻って遊びまわるのが一番楽しい。
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水が全くない不毛な砂漠地帯もあれば、イグアスの様にもの凄い量の水が流れ落ちている場所もある、地球のでっかさを改めて感じさせてくれたそんな場所だった。
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2009.08.26 絆と覚悟と
パラグアイのイグアス移住区。
ここにはその名前が示すとおり移民の人たちが暮らす地区。
その中には日本から移住した人たちが暮らす町があり、イグアスの滝に向かう前に僕達はその町に立ち寄ることにした。

町に到着してレストランに行くと、日本から移住してきた家族の方たちと同席することができた。
パラグアイは自分が思っていた以上に貧しくて、他の国と同様に貧富の差も激しい国で、その光景にはインドと同様の衝撃を受けた。
それでも、その同席した家族の子供達は、明るく元気で何かしてもらったら「ありがとう」と言える子供達で、その光景に自分はこの家族は幸せに暮せているんだと感じ、日本は物質的には裕福になったけれど、昔からの良かった部分を、どんどん無くしていってしまっているんではないかと思う。
家族間の距離が近く、他人との距離も近い。
親切な心が嫌みなく発せられそれを受け取り、そこから連鎖して幸せに繋がっている。
ここの人達の絆は深いものでそれはお金云々でどうにかなるものではない。

ブエノスアイレスでも移住して50年のおばあちゃんと知り合い色々な話を聞かせてもらった。
ウシュアイアで泊まった宿でも貴重な事を知ることができた。
ここ、パラグアイでも移住して見ず知らずの土地で頑張り今ではイグアス市として登録される程の町にした人たちがいる。
その人たちが話してくれる言葉にはとても重みがあり、芯が通っているその姿は清々しくカッコよくて、みんな温かい人たちばかりだった。

自分が生まれた国を離れて、異国の地で一から作り上げて行くというのには相当の覚悟がなくてはならない。
自分にはまだ、いろいろと覚悟が足りないと思う。
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疲れてます。。。
連日2000km近くの移動を繰り返し、ワインを1杯飲んだだけで酔いがまわり気持ちよくなってしまう。
言葉がわからない中で、必死にボディランゲージを駆使してコミュニケーションをしたり、日本では8月の夏真っ盛りに雪山にプチトレッキングしたり、寒風吹きすさぶ中クジラの出待ちをする為に海岸線で待ちぼうけたり。
移動して目的地に着いたら疲れも忘れて元気に歩き回ってる。

自分の旅も終盤戦。
一つ一つの出会いやその場所を大切に最後の日まで楽しんでいきたい。
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2009.08.18 崩落
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写真提供:旅友の大ちゃん。

「パン・パン」と乾いた銃声のような音が氷河から聞こえる。
遠くの方では落雷が落ちたような音が聞こえ、どこかで氷河が崩落したことがわかる。
次の瞬間、何かか裂けるようなバリバリっという音と共に目の前の氷河の先端部が剥がれ目の前で崩れ落ちていく。
その瞬間を自分はただ見つめて立ちつくしていた。
2009.08.18 時の流れ
ウシュアイアから丸1日バスに乗り、カラファテの街へ。
カラファテにはペリトモレノ氷河という世界遺産にも登録されている巨大な氷河がある。
氷河面積は世界で3番目(ここより大きいのは南極とグリーンランド)
先端部分の高さは約60m、奥行きは35km。
とてつもなく大きい氷の塊なんです。
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この氷河は毎日40cm?2m進んでいて、最先端まで辿り着くと轟音と共に崩れ落ちる。
今、自分が目にしている氷の塊は何万年前に生れて、長い長い時間をかけて進み、そして終焉の時を待っている。
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万物流転
古代ギリシャの思想家ヘラクレイトスは「万物は絶え間なく流転する」と説いたという。
この世界に存在するすべてのものは、一瞬たりとも静止していることはなく、絶えず生成と消滅を繰り返している。
変わらないものなんて無い、人も自然も常に変化し続けている。
そんな事を巨大な氷河を前にして思いだし感じていた。

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その日の夜は氷河を少しだけ持ち帰り、ラムの氷河割りで乾杯。
ペリトモレノ氷河で割ったラムは格別の味でした。
2009.08.17 End Of The World
「人生とは旅であり、旅とは人生である」
中田ヒデが引退の時に残した言葉。
旅に出てからこの言葉に深く共感を覚えることがある。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ日々自分の感情をフル稼働させて生きている。
人生と同じように旅も思わぬ出会いやふとした事がきっかけで、想像もしない思わぬ方向に事態が進展していくからおもしろい。
ブエノスアイレスでボリビア?チリと一緒に旅した大輔君と再会した自分は世界最南端の街へ向かった。
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呼ばれるようにしてこの地にやってきた、世界の最南端の街は静かな港町だった。
地球最果ての地でも人々は普通に暮らして生きている。
本当にこんなとこまで自分の足で来ちゃいました、この先怒涛のような移動の連続だけどこの地にこれた事に感謝です。
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アルゼンチンワインの里、メンドーサ。
アルゼンチンワインの大半はここメンドーサで作られており、町の郊外には数多くのワイナリーがある。
チリワインに続き、アルゼンチンワインを求めて、同じ宿のフランス人たちと一緒に自転車を借りワイナリーへと行ってきた。
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最初に向かったのはワイナリー兼博物館。
館内には昔のワイン作成に使用していたアンティークとも呼べるような道具がたくさん。
昔は、牛の皮で出来た袋に摘んできた葡萄を入れて、中に人が入って足で踏んで潰していた。
牛のしっぽから、潰した葡萄の汁が出てくる道具はとてもシュールです。
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その後、葡萄の搾り汁を樽に入れて10日?2週間程寝かし、葡萄の糖分がアルコールに変わるのを待つ。
この時、蓋は開けたままにしておかないと、ガスが出て爆発するらしい・・
その後は蓋をして貯蔵庫に寝かせ、熟成期間を経てワインが完成する。
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時は流れて現在。
巨大な機会で作られ、どうやって作られているのかさっぱりわかりません。

博物館見学の後はお待ちかねのテイスティング。
フランス人はまぁまぁだと言ってましたが、彼らがワインを吟味して飲む姿はやはり堂にはいっているというか、絵になります。
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続いて向かったのはチョコレート工場。
ここでは、自家製・無添加のチョコレートや、チョコレートリキュールを造っていて、工場内は甘ーい香りがで充満していて甘美な魅惑に駆られる。
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1年に殆ど雨が降らないメンドーサで良質のブドウを作るのに必要な水は街の背後に悠然とたつアンデスの山々。
雪解け水をダムに貯めて水を確保しブドウを育てている。

このワイナリー巡りで一番の発見は、肉との相性が抜群に良いという事。
ワイン単品で飲んでもおいしいんだけど、厚切りにされたアルゼンチン牛のステーキを食べながら飲むと、相乗効果によりワインも肉もより一層おいしくなる。
(アルゼンチンはワイン生産量が世界で第4位のワイン大国だけれど、その殆どを自国で消費してまうらしく、輸出されるのはごく僅か、このおいしさを知ったら飲みつくしてしまうのも納得)
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toast ami fraçais
南米に入ってから何かとフランス人と縁があるようで、日本人と一緒にいない時には彼・彼女たちと過ごす事が非常に多い。
政治の話から仕事の話、男と女についてと色々な話をして、フランス&フランス人の事がリアルに理解できたかな。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
盗難ニモ冬ノ寒サニモマケヌ
丈夫ナカラダトココロヲモチ
一日一枚ノ牛肉ヲタベ
三杯ノワインヲノミ
罪を憎んで人&国を憎まず
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

盗難事件の翌日は半日はベッドの上で過ごし、起きてからは宿の親父アリエルと下らない話をしたり、同い年のアルゼンチン人カルラからスペイン語を教えてもらったりしてうだうだと過ごした。
正直アルゼンチン到着と同時に盗難事件があり、これからのアルゼンチンの旅は全て灰色の思い出になってしまうではないかと思っていた自分の目に飛び込んできた一枚のポスターがあった。
それは空を飛ぶパラグライダーのポスターだった。
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未体験な事をして一刻も早く昨日の出来事を思い出にしてしまおうと、一種のショック療法の様な考えに自分の心は突き動かされ空を飛んでみることにした。

フライト当日の天候は晴れ時々曇り、風は良好。
自分の命はインストラクターのラウルと紐で結ばれたパラシュートのみ。
正直ランディング地点に立った時は足がすくんだが、ラウルのvamosの一言と共に大空へ。
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離陸した直後は風にあおられ、上下動し周りの景色を見る余裕などなかった。
しばらくして安定飛行に入ると、自分の中で視界が開けた。
眼下に広がるのはメンドーサの街、その上空1600mを空に舞う木の葉のように漂って飛んでいる。
ゆっくりと旋回すると全く違った景色が現れ、また旋回するとまた違った表情の景色が見える。
顔を通り抜けていく風は冷たいが心地よく、心は自然と踊り出し声をあげている自分がいた。
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最後の着地では勢いを殺せずに派手に転んで痛かったけど、空をゆっくりと飛ぶのは気持ち良く、心の切り替えも出来た空の旅だった。
ここからアルゼンチンの旅は仕切り直しです。
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普段はビールしか飲まない自分もチリ中央部は良質なワインを生産している事で有名らしく、サンチャゴ近郊にあるワイナリーに行ってきた。
現在は冬のため、実をつけた一面に広がるブドウ畑を見ることは、出来なかったけれどワイン貯蔵庫の中を案内された時の、年季がはいった樽とワインの芳醇な香りには歴史を感じるものがあった。
特に試飲させてもらった白ワインは香りも味もよく、ワイン初心者の自分でもおいしく感じるものだった。
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サンチャゴはヨーロッパのように、区画整理された整然とした街並みにおしゃれな人達が風を切って闊歩している大都会だった。
地下鉄も2〜3分おきに走っており満員の事もしばしばあった、中にはとても忙しそうに行動している人もいて東京の電車のよう。
物価も一部の商品(ワインや果物など)を除けばほとんど日本などと変わらない値段でとても南米とは思えない。
でも、チリ人は本当に陽気で歩けばhola!と挨拶を交わし、少しでも顔馴染みになったらアミーゴになりスペイン語で一方的に話し、お酒をご馳走してくれたりとラテンの国に来たんだと実感させてくれた。
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チリとアルゼンチンの間に跨がるアンデス山脈。
バスでのアンデス越えの車中からは6000m級の山々が次々に現れ素晴らしいものだった。
この時はこれから起こる悲劇も知らず、お気に入りの音楽と共に流れていく景色をただ見つめていた。
またも、やられた。
本当にショックだ。
アルゼンチンに着いた初日に盗難にあってしまった。
事の始まりはアサードパーティからだった。

アンデス山脈を越えてアルゼンチンのメンドーサに着いたのは夕方前。
バス停にいた客引きに案内され宿に着くと、今日はみんなでアサード(焼肉)をするという事で誘われた。
アルゼンチン牛の旨さは耳にしていたので勿論出席をお願いした。

宿の親父の感じも良かったし、宿の雰囲気も良かった。
その中に小悪党の盗人ホルヘは居た。
最初は親父と凄く仲良かったし小間使いの様に使われていたので宿のスタッフだと思っていた。
着いた早々にマテ茶を振る舞ってくれたり、アルゼンチンの事を色々と教えてくれたり、
一緒にマラドーナの神がかり的なプレーを見て、ムキになって説明してきたりと親切でおもしろい奴だと思った。
でも、親切すぎる奴には裏があるのが世の常。

彼がアサードの食材を準備するので参加費用を集めるという事で、まずはお金を支払った。
次に準備をする間、音楽を聞きたいからポータブルオーディオを貸してほしいとお願いしてきた。
若干の怪しさを感じたけれど、アサードは宿の庭で行う予定だったし良い奴だったので大丈夫だろうと思い貸してしまった。

アサードパーティの開始は夜10時。
朝、出発前にパンを一つしか食べてなかったので、お腹は空いていたのですぐに何か食べたかったけれどアサードの為に、お腹を空かしてひたすら待った。
何にもする事がないけど、ただ待った。
10時が来るのを心待ちにして待った。

しかし、10時を過ぎても始まる気配が全くない。
最初は南米時間がここでも流れてるんだと思い、待っていたけれど30分過ぎても声がかからない。
いよいよお腹も限界だし宿の親父に尋ねると、どこに行ったか知らないという答えが返ってきた。
ここから他の参加者も含めてどうなってんだと議論が巻き起こった時には奴の姿はもう無かった。
後から知った事だけど、奴はただの旅行者で各地でこうやって騙し渡り歩いている悪党だった。
宿の親父を含め全ての人が奴に騙された。

宿の親父は怒り心頭で汚い言葉を連発していた。
一番の被害者である俺は、自分のお人好し加減だったり油断していた自分に腹が立った。
タイでの事件と同じく防ぎようがない強盗だったりではなく、またもやころっと騙されてしまった。
振り返れば奴の行動は怪しい事が多々あったのに、何故気付けなかったのか。。。

夜中の12時過ぎに警察に行き、事情を説明して宿に戻ってきた時にはあれほど空いていたお腹も食欲が失せ、昨日はろくに寝てないのに全く眠くもならない。
時刻は夜中の3時、今日はまだ終わりそうにない。
アルゼンチンの旅は最悪の始まりだ。
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ウユニ塩湖ツアーでそのままボリビアを抜け、チリのサンペドロ・アタカマへ。
この街でウユニのサバイバル生活の疲れをとってから、1日バスに揺られてチリ中央部のヴィーニャデルマルへ向かった。

このヴィーニャデルマルという街は、海岸線沿いにあるリゾート地のためシーズン中はビーチを求めて大勢の人が集まり街は賑やかな場所になるのだが、今は真冬だし人も居ずこれといって見所があるわけでもない。
それでもこの街に来たのは、只一つ新鮮な海産物を食すため。
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最近では日本食ブームもあり、いろいろな国で日本食や寿司など食べれるけれど、それを食べるには結構なお金が必要で長期旅行者には高嶺の花。
この旅でネパール、ボリビアと安価でおいしい日本食を食べたけれど、それでもローカル食の何倍もする値段の為、毎日行くにはちょっとキツイ。
(でも毎日のように通ってたけど。。。)

そんな悩み?を解消させてくれるのがこの街、ビーニャデルマル。
毎朝、宿のみんなで連れ立って魚市場へ
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サーモンやヒラメ、アナゴやカニ、更にウニやら大王イカなどここはシーフード天国。
値段もサーモン1匹(2kg超)が\600・たらこ山盛り\100・あさり1kg\100で手に入り、毎日大量に買い込み、宿に戻り調理して刺身から焼き魚、竜田揚げ、アナゴのかば焼き、ちらし寿司と常に新鮮な海産物を食べた、これでもかと毎日食べた。

自分の中でも嬉しい変化があった。
インドを出てから4ヵ月、トルコの宿でカレー粉を使用してないキーマカレーは食べたけど、その間カレーには食欲をそそられなかった、、、
しかし、ここでシーフードカレーを作った際には心からカレーを美味しいと感じた、遂に日本人の国民食カレーが自分の中に帰ってきた瞬間だった。
ビーニャ 003
毎日、そんな感じで飽きるほどに海産物を食べ英気も十分すぎるほど養われたので、そろそろ移動して、今度はチリワインを飽きるほどに飲んでこようと思います。
今日も1日お疲れ様でした。
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